京都のことは「京都のプロ」にたずねよう。
京都にまつわるQ&A。

1200年の歴史に育まれた京都には「京都検定」なる検定試験があります。
京都の歴史・文化・神社・寺院・祭りや行事・工芸、暮らしなど幅広い知見がなければこの試験に合格することはできません。そんな難関を突破した「ほんとの京都通」の方々に直接質問ができるコンテンツ。質問はなんでもOK!右のスペースから投稿してください!

  • 京都に本社を構える企業が多くあります。なぜ京都に本社を置いているのでしょうか?歴史的観点も私見も含めて教えていただけますか? (スペシャル回答)
    京都検定1級 50代 男性


    京都に本社が多い理由として,やはり「一千年の都」であった事実を主因として挙げたいと思います。
    京都には古代(遅くとも平安時代)から官営としての生産施設があり,
    時代が下るに従い民営化が進み,京都での創業に至ったと推測します。
    つまり,多くは,もともと「京都」ブランドであったという考えです。




    この仮定のもとに,次に,首都が東京に遷り,社会全体の情報化が進み,
    物資の流通システムも発達した現在,何故,未だに「京都」なのかという観点で考察を進めたいと思います。



    先ず作業場所を考えます。
    伝統工芸の多くは職人の手作業に負うところが多いと考えられます。
    家内制手工業程度の規模であれば,もともと店舗と居住空間を兼ね備えた構造として進化を続けてきた「町家」で十分に用が足りるということがあると思います。


    需要面はどうでしょうか。
    京都に留まる理由としてかなり大きなウエイトを占めると考えています。
    洗練された工芸品の需要先を考えると,先ず2000を超える神社仏閣が思い浮かびます。

    京都には歴史のある本山寺院も多くあり,天井壁画,襖絵,仏像,石灯籠,寺宝などの修復依頼が期待できます。由緒ある茶室も多くあります。茶道具や茶室内の設えの依頼もあるでしょう。装束・神宝の更新機会は切れ目なくやってきます。更に,京都では,祇園祭,葵祭,時代祭などの動く美術館と云われる大規模な祭りが毎年開催されます。職人の技が光る美術工芸品のみで構成されたような祭りです。芸妓,舞妓さんで知られる伝統ある花街(島原,祇園甲部,祇園東,宮川町,先斗町,上七軒)では着物,小物類の需要が見込めます。



    最後に工芸職人の内面を探ってみたいと思います。
    例えば,清酒の醸造を考えてみます。酒蔵に酵母や米麹を脅かす雑菌が僅かでも混入すれば,代々受け継いできた伝統ある味や香りが台無しになることは容易に想像できます。その土地にあった手法で醸し出した味や香りが別の場所(別の菌環境)で実現するという気持ちにはなれないと思います。伝統を守るとは「土地に執着する」ということでもあります。工芸品の品質は職人個人の内面が大きく影響すると考えられます。


    日本刀を作る刀鍛冶職人は,
    平常心を保つために,同じ時刻に起床し,
    朝食前の同じ時刻に散歩に出かけ,同じお寺の境内の同じ庭を眺め,
    片隅の湧水で手を清め,小さな祠に手を合わし,
    同じ時刻に帰宅するという儀式を毎日繰り返しているのかも知れません。

    精神を研ぎ澄ますための儀式は,工房周辺の自然環境とも一体のものである可能性があります。慣れ親しんだ場所とは別の場所で同じ品質の日本刀は作れないのではないかと思います。保守的と言えばそれまでですが,伝統を守り続けるということは容易なことではないと思います。


    以上,京都にこだわる幾つかの私見を挙げました。

    京都は大学の街とも云われます。工芸職人を最先端の光で見つめ直し,
    新たな伝統をスタートさせる可能性を秘めています。
    ご質問にある「本社を構える企業」を大規模なハイテク企業と読んだ場合も,
    やはり,「一千年の都」京都の伝統や周辺環境の力に期待しているのだと感じます。
  • 京都に本社を構える企業が多くあります。なぜ京都に本社を置いているのでしょうか?歴史的観点も私見も含めて教えていただけますか? (回答数:3)
    京都検定1級 50代 女性


    平安時代、朝廷、巨大社寺、貴族がスポンサーになり、技芸の精進を促し一流の職人を排出した事に始まるのではないでしょうか。
    利益より品質を重視し、本物を一筋に追及した結果が認められたのでないか、と思います。





    京都検定2級 30代 女性


    長い間、日本の中心であった京都で事業を起こしたいと考えられる方が多いのかもしれません。

    代々受け継がれている伝統産業も数多くあると思いますが、
    新たに京都で事業を始められる方は立地はもちろん長くある企業等も多いので
    同じ分野で競い合いながら仕事に携わるには、最適な環境なのではないかと思います。




    京都検定1級 40代 男性

    京都には平安京の貴族たちの需要を満たした職人集団にルーツを持つ、
    高い技術を持った、あらゆる分野の職人が現在でも存在しています。

    企業がそれら職人たちと「顔と顔をつきあわせてつきあう」関係を保つため。
    また1000年以上の歴史を持つ京都では、企業の規模を拡大することよりも
    長きに渡って存続することに価値がある、と考える風潮が強いです。
  • 「京都の伝統産業」はどのようなものがありますか?
    また、その起源とルーツを教えてください!(スペシャル回答)
    京都検定1級 50代 男性


    京都は多くの伝統工芸を育んできました。
    「京都の伝統産業」として国が指定するものだけでも「染織」7種,「諸工芸」10種の合計17種に及び,各々がそのまま日本を代表する文化の結晶でもあり,観賞的価値,実用的価値ともに優れ,私たちの日々の生活に潤いと安らぎを提供し続けています。

    これらの伝統工芸を絞り込んでお伝えするのは難しい作業ですが,特に古い歴史を持つ「絹織物」を例にとり,「京都の伝統産業」に共通する属性についてご紹介できればと思います。

    絹織物は,その気品のある艶,
    しなやかな肌触りなどの特徴から,
    古代の皇室や貴族の女性用装束であった「十二単衣」にみられるように,
    王朝文化を代表する工芸品となりました。
    現在でもなお,先染め織物である「西陣織」,
    白布に染め出す「京友禅」などの京都の伝統産業において
    最も重要な素材となっています。

    今日の絹織物に用いられている優れた技術は,
    先人の永年に渡る蚕の改良や精錬技術研究の賜物です。
    確かな伝統技術に「古都」京都の土地柄がもたらす精神とも言うべき
    「先端技術との融合」が加わり,京都の伝統産業は更なる飛躍を続けています。





    絹織物のルーツ

    絹織物の製作は,
    もともと山野の昆虫である蚕を
    「養蚕」することに始まりますが,
    その技術は,中国の歴史書(3世紀頃の『三国志』に収められた所謂「魏志倭人伝」)の記述より,
    3世紀には既に日本国内に存在していたことが知られています。

    事実,紀元前に比定される遺跡(弥生時代前期末の有田遺跡)から絹が出土しており,日本産の繭から作られたものであることが確認されています。また同書から,絹織物は古代の外交(古代中国「魏」~古代日本「倭」)において最高級の贈答品であったことも伺えます。

    日本の絹織物は,実に2000年を超える歴史に
    支えられてきたことが分かります。


    また,日本最古の歴史書に挿入されている神話には,
    食物起源譚が描かれています。
    食物の神(大宣津比売=オオゲツヒメ)の死体から
    日本人の主食となる五種類の穀物(稲,粟,小豆,麦,大豆)が順に生まれるという話ですが,
    興味深いのは,これら穀物の発生の前に,
    先ず神の頭部から蚕が生まれていることです。

    太古より稲作文化を中心に発展してきた日本ですが,
    絹織物が如何に重視されていたかが伺えます。

    この歴史書は8世紀初頭に成立したものですが,
    ようやく律令国家としての統一政権(大和朝廷)が動き始めた時代に相当します。

    この頃,日本の都は京都の南に位置する奈良(飛鳥京,藤原京,平城京)にありました。
    絹は「通貨」(官人の給与など)や「税」の役割も果たし,
    また,絹織物を生産する官営の組織(織部司=おりべのつかさ)が
    整備されていたことも分かっています(8世紀初頭の「養老律令」)。
    高級絹織物の製作には,渡来系氏族の子孫が世襲の技術を担って仕えていました。



    統一政権支配下の各地方から「税」として徴収された絹の一部は,
    先の官営の組織(織部司=おりべのつかさ)において,
    皇室や貴族の装束である高級絹織物に織り上げられましたが,
    こういった官営の生産システムが
    絹織物に関する技術の継承という面で大きな役割を果たします。

    都が京都に遷った後も同様のシステムがあり,長期に渡り継続されています。
    ここには「神事用」の装束を手掛ける部署もありました。
    私見ですが,この「神事用」という概念こそが,
    他の多くの伝統工芸も含め,
    熟成・発展を遂げる大きな原動力となったのではないかと考えています。
    以下にその理由を概説します。



    「神事用」という言葉に含まれる「神」は,
    日本においてはアニミズムから生じた祖先神を示します。


    古代日本人には
    「豊かな自然の恵みによって生かされている」という意識がありました。
    森は人々に木の実,透き通った水,新鮮な空気などの生きる糧を提供します。

    梅雨時には雷鳴と共に稲作に必要な雨をもたらし,
    夏に降り注ぐ太陽は稲の生育を促します。

    人々は各々の自然現象に「神」を感じ,畏敬の念をいだきます。
    人々は「神」からの恵みに対し篤いおもてなしで感謝の念を伝えます。

    お供え,神の装束,神宝,舞楽などの奉納の起源です。
    一方,古代国家は「神」をシステム化し,
    「神」の霊力を利用した人々の統制を試みます。
    国家も「神」への篤いおもてなしを始めました。

    奉納品は全て国の威信をかけた
    第一級の工芸品である必要がありました。

    もし粗雑品の奉納で「神」の機嫌を損ねれば,
    天変地異(地震,大風,洪水,旱魃,疫病など)が国を亡ぼすと畏れたからです。


    日本の「神」は清浄を好み,衰えを嫌います。
    「神」の霊力を維持するため,一度奉納した品々も
    定期的に全てを更新することを考えました。


    神社の社殿も例外ではありません。
    7世紀末,国家はこの手法を整え「式年遷宮」という制度を始めました。


    例えば,国家の総氏神であった伊勢神宮(神宮)では,
    20年に1度の式年遷宮(正殿2ヵ所,別宮14ヵ所,関連社殿約60ヵ所,鳥居,橋,装束神宝約1600点に及ぶ工芸品の更新)を
    約1300年が経過する現在もなお続けています。


    定期的に社殿,装束,神宝などを
    全て正確に同じものに更新する作業によって,
    伝統工芸の技は世代を超えて確実に継承することが可能となりました。

    作業に関わる工芸職人は,
    義務感というより「神」への奉仕という一念によって
    真摯に向き合ったのだと思います。

    「神」に失礼がないよう日々芸術的素質を磨き,
    伝統技術を研究しつくし,後継者を育成する努力を重ねてきたのでしょう。


    自然神を畏敬する日本特有のこうした構造は,
    現在もなお伝統工芸の熟成・発展を促している重要な要因の一つであると考えられます。


    話しを戻します。
    8世紀末,都は京都(平安京)に遷ります。
    「古都」京都の幕開けです。
    19世紀末に都が東京(江戸)に遷るまでの一千有余年という年月が,
    中国大陸から伝来した多くの外来文化を
    日本独自の国風文化に熟成するために与えられました。


    実は,京都(嵐山,嵯峨野地域)では,
    都が遷る前の6世紀頃,高い文化を持った渡来系氏族である秦氏が移り住み,
    高度な土木技術によって河川(保津川=大堰川)を改修(葛野大堰,灌漑用水路の建設)し,
    農耕を進めていました。

    同時に高度な機織技術の導入により
    絹織物の生産も始められていたと考えられています。

    付近には,「税」としての絹織物を「うず高く積み上げた」ことに由来するとも言われる「太秦(うずまさ)」の地名も残されています。当時のこの地域は,奈良の都への農作物,魚介類,絹織物などの重要な供給源であったようです。日本が誇る京都の景勝地「嵐山」もこの頃に開かれています。


    古代日本の都は渡来系氏族が興した土地に築かれた例が多いという説があります。古代日本人は,高度な技術を持ち込んだ種族から熱心にその技術を吸収し,研究を重ねて日本独自の文化を築いてきたのです。



    13世紀(鎌倉時代)あたりから
    武家政権の勃興が見られますが,
    形式的には朝廷(天皇)が任命した政権であるため,
    都のある京都が日本文化形成の中心地であったことに変わりはありません。

    また,17世紀(江戸時代)に入ると,
    武家政権(徳川幕府)は朝廷を政治の舞台から排除する施策をとり,
    結果として,朝廷は文化的側面にのみ力を注ぐことになります。

    このため,京都では工芸職人に対し良好な環境が維持されていたと思われます。
    各々の工芸職人は,皇室のおひざ元に居て
    皇室,貴族,神事の用に供する工芸品の製作に
    誇りを持って取り組んでいたことは想像に難くありません。



    19世紀末,都は東京に遷り明治維新を迎えます。
    政府が選択した近代化の波は全国を席巻する事態となりますが,
    何よりも京都では,皇室や貴族の居住空間であった御所は廃墟に近い状態となり,
    主要な供給先を失った伝統産業は大きな打撃を受けることになります。


    絹織物の関連では,「西陣織」も大きな危機を迎えますが,京都府の保護育成施策,先端技術(明治2年のフランスジャカード織機)の早期の導入,博覧会への出品などが功を奏し,経営の立て直しに成功し,現在はご承知のように京都に欠かせない産業となっています。


    他の伝統工芸も同様の経過を辿り,
    現在も発展を続けています。
    一千有余年の長きに渡り京都に都が存在し続けたこと,
    自然崇拝としての「神」に奉仕する工芸職人気質が形成されていたことが
    「京都の伝統産業」に共通のルーツであると思います。
  • 「京都の伝統産業」はどのようなものがありますか?
    また、その起源とルーツを教えてください!(回答数3)
    京都検定1級 50代女性


    京こま
    奈良時代に中国より伝来した散楽の一つである独楽が起源といわれています。
    安土桃山時代には宮中の女官が着物の端きれを竹の棒を芯にして巻き付け、
    独楽状にして室内で遊んでいたらしく
    江戸時代にお座敷遊びとして定着しました。
    昭和末期に製造者が廃業し断絶するものの、
    ただ一人の継承者が平成14年、京こまの復活をかけ生産販売の活動をしていますよ。






    京都検定2級 30代女性


    京漬物
    数多くある中で、自身も含めた旅行者が買うおみやげの上位にも選ばれる漬物は
    馴染み深いものなのではないかと思います。
    そのルーツとしては、貴族や寺院等から広がり、
    様々な形があるかと思いますが、お茶の世界の影響が大きいのではないでしょうか。
    お茶の文化を含め使用される道具等、京都を代表する産業の一つだと思います。







    京都検定1級 40代 男性


    京扇子
    うちわが中国より日本に伝わり、
    それが日本で改良され、折りたたむことのできる扇になったとされている。

    扇には二種類あり、ひとつは「檜扇」でもうひとつは「紙扇」である。

    檜扇は平安時代、宮中の公式行事で使用され、
    貴族たちの威儀を正す持ち物であり、
    扇作りの職人も厳選された者であった。
    東寺の千手観音像腕内納入檜扇(877年)が現存最古の檜扇とされている。


    檜扇に対して紙扇は主として涼を求めるための道具であり、
    普段使いのものとして自由な装飾が施されたらしい。


    鎌倉時代には折りたたみのできる日本の扇が中国へ貢物として渡り、
    それが中国で「扇子」と呼ばれるようになって、
    その言葉も禅僧たちが日本にもたらしたという。

    扇子は室町時代以後、能や狂言、
    田楽など芸能の小道具として使われるようになった。

    それに伴い紙扇の需要が増し、量産体制が構築され、
    扇職人や扇商なども出現した。

    中世以来、扇工房の中心は五条大橋付近だったとされ、
    現在も橋の傍らに「扇塚」があって
    面影をしのぶことができる。
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