龍安寺(京都市)、龍興寺(南丹市)とともに臨済宗妙心寺派の三龍寺と呼ばれている亀岡市の龍潭寺。
その住職を務める「潭さん」がお寺の事から京都の事までをご紹介します。

Priest of Ryotanji in Kameoka City.
Ryotanji is among the 3 major temples of Rinzai Myoshin-ji sect
(others are Ryuanji in Kyoto City and Ryuukouji in Nantan City).
Mr. Eguchi whose nickname is Tan-san,
will be sharing his story about his temple and of Kyoto.

江口昌道

昭和47年2月、龍潭寺24世江口宗道の長男として誕生。5才の時に、父親である師匠に就いて得度、僧侶の道をスタートする。
大学卒業後、天龍寺専門道場に入門。平成8年5月に龍潭寺25世住職に就任。現在に至る。
龍潭寺23世 江口快翁が創設した児童養護施設 青葉学園の理事長として社会福祉活動にも力を注ぎ、亀岡市教育委員会教育委員なども務める。

Born in February 1972, as the first son of Ryotanji, he started is path towards Buddhist priest under his father's supervision at the age of 5. After taking 2 years of practical training at Tenryuji after graduating university, in May 1996, he became the 25th priest of the temple that his family had been guarding.
He is actively contributing to the society by running a children's foster home Aoba Gakuen which was established by his grandfather, participating as an educational member of the Board of Education in Kameoka City.

2018.02.28 WEDNESDAY

「二十五回忌 前編」

過日の事となりますが、龍潭寺先住(二十四世)で私の父である宗道(そうどう)和尚の二十五回忌の法事を執り行いました。
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早いもので二十四年経ち、二十五年目を迎える年に二十五回忌の法要を執り行います。又、寺院では斎会(さいえ)とも言い、多くの僧侶を集めて勤行(ごんぎょう)と務め食事を施すと言う意味もあります。

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私は大学卒業の年21才の時に先代の住職、父が亡くなりました。
近くのお寺で法要があり、その斎会中に脳溢血でたおれました。そのまま、数日後に亡くなったのですが、救急車で京都市内の某病院に運ばれました。

たまたま、私が一番に駆け付けまして、お医者さんから、第一声「もう、助かりません。本人を楽にするために脳から血をぬく手術だけをします。」と言うことでした。「はい、お願いします。」と答えました。
その、一瞬の出来事で私は変わったといいますか、何かふっきれたような気がしました。本当に不思議だったのですが、ま~それまで、迷いがあったのです。学生でしたから、このままお坊さんになるのか?何かしたいことがあるのではないか?それなりにあったのです。
ところが、その一瞬で変わったと言うか、「よし、自分がやろう。後を継いでお坊さんになろう。」と、その時、決心覚悟が決まりました。自分の進むべき道が決まったと言うか、生前、私は父に対して批判とか反抗ばっかりでしたが、結局、最後の最後に命をかけて、父は私を導いてくれたのではないかと感じています。それから、色んな方々に助けられ、懸命にやってきたアット言う間の24年でした。
私が父に対してしていた批判や反抗は、父の歩んで来た道を自ら歩みだして、間違えていたことは直ぐ解る事になりました。
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 次回は引き続き、二十五回忌続編となります。

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