龍安寺(京都市)、龍興寺(南丹市)とともに臨済宗妙心寺派の三龍寺と呼ばれている亀岡市の龍潭寺。
その住職を務める「潭さん」がお寺の事から京都の事までをご紹介します。

Priest of Ryotanji in Kameoka City.
Ryotanji is among the 3 major temples of Rinzai Myoshin-ji sect
(others are Ryuanji in Kyoto City and Ryuukouji in Nantan City).
Mr. Eguchi whose nickname is Tan-san,
will be sharing his story about his temple and of Kyoto.

江口昌道

昭和47年2月、龍潭寺24世江口宗道の長男として誕生。5才の時に、父親である師匠に就いて得度、僧侶の道をスタートする。
大学卒業後、天龍寺専門道場に入門。平成8年5月に龍潭寺25世住職に就任。現在に至る。
龍潭寺23世 江口快翁が創設した児童養護施設 青葉学園の理事長として社会福祉活動にも力を注ぎ、亀岡市教育委員会教育委員なども務める。

Born in February 1972, as the first son of Ryotanji, he started is path towards Buddhist priest under his father's supervision at the age of 5. After taking 2 years of practical training at Tenryuji after graduating university, in May 1996, he became the 25th priest of the temple that his family had been guarding.
He is actively contributing to the society by running a children's foster home Aoba Gakuen which was established by his grandfather, participating as an educational member of the Board of Education in Kameoka City.

2017.09.05 TUESDAY

「預かった命」

早いもので、もう9月ですね。後、4カ月で2017年も過ぎて行きます。禅の言葉に「無常迅速」(むじょうじんそく)とあります。この世の移り変わりはとても早く、時は人を待つこと無く、そしてこの命もいつなくなるかわからないものです。そんな中、我々の命は存在しています。

我々はよく自分の命と口にし、自分のものだと思っていますが、果たしてそうなのでしょうか。禅僧で有名な一休禅師は自分の命について、こんな歌を詠んでおられます。「拝借し申し候、昨月昨日。お返し申し候、今月今日。」(はいしゃくしもうしそうろう、さくげつさくじつ。おかえしもうしそうろう、こんげつこんにち)自分の命は生まれる事で預かり、死ぬ事でお返しする。つまり、命は自分のものでは無く、お借りしているものだと詠っておられます。

例えば、朱扇(しゅせん)と言う扇子を我々は携帯します。
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この扇子は私がある方から頂いた物ですから、今は自分の物です。だから思い通りに使う事が出来て、捨ててしまう事も可能です。しかし、誰かから預かったものならどうでしょう。取り扱いに注意し、出来るだけ同じ状態でお返しすると言う責任が発生します。捨ててしまう事など有り得ない事です。そうですよね。
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つまり、この我々の命は誰から預かったものとなります。では誰から預かったのでしょうか。それは、祖先先祖、仏様から預かったこの命と言えるのです。そして、お預かりしている間は出来るだけ大事に大切にし、出来るだけ良い状態でお返し出来るよう心掛けたいものです。また、そう考える事が出来れば、我々の生き方まで変ってくるのではないでしょうか。

是非、一度考えてみて下さい。預かった命ですから。

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