Metal Fabrication「京都の金属工芸」

軽やかな重厚感

文:日沖桜皮 写真:瀧本加奈子

 

金である、銀である、銅である。
さらには、鉄、錫、真鍮…。みな、重くて固いはずの金属だ。しかし、職人さんたちの手に操られるそれらは、なんとも軽やかでしなやかにみえた。
人類と金属の出会いは紀元前3000年以前にさかのぼる。ピラミッドの工事に鉄製の道具が使用されたことを示す資料があったとか。時代は下り、紀元前700年頃のアッシリア王宮の遺跡からは、大量の鉄器が発見された。刀剣、甲兜、鉄鎖、鋸などである。

いずれにしてもこれらは、「ツール(=実用的な道具)」であった。日本においても、弥生時代に中国を経由して伝わった鉄が“製品化”されたのは、斧や刀といった実用品であった。ところがそれから、金属が装飾品に使われるようになるのに、さほどの時間を要していない。われわれの祖先は、銅を使って銅鐸を作ったのだ。銅鐸は何のためのものであったのかは、いまだ明らかではないが、祭りや宗教的な儀式に関連しているとの説が一般的だという。2~3世紀、弥生時代後期のことと推定されている。

前置きが長くなってしまった。
ここに紹介する「金属工芸」とは、弥生時代にルーツを持つ宗教関連の装飾品、つまりは「神仏具」のことである。言うまでもなく京都は、仏教や神道の中心地であり続け、その教義や行事を彩る宗教用具の需要が多かった。資料によれば、室町時代の末期には、はっきりと「神仏具金物」の生産がみてとれる。茶の湯で使う湯釜の生産により技術が高まったことで勢いがついたのである。

しかしこの現代、神棚や仏壇をまじまじと見つめたことがある人は、減っているであろう。住居形態の変化や核家族化の進行により、家にそれらがない世帯も少なくない。神棚や仏壇のなかで金色に輝いているパーツはほぼ、金属工芸品である。御本尊はもちろん、擬宝珠、香炉や火立など、ほとんどが金属だ。つまり、神仏具金物の職人たちの仕事はここに凝縮しているのだ。


たとえば建築物の鉄骨を組む際、鉄の長さが1ミリでも狂うことは許されない。仏壇の左右の擬宝珠のしずくがコンマ1ミリ狂うことと較べれば、どちらがまずいことか一目瞭然である。しかし、金属工芸の職人たちは、擬宝珠のコンマ1ミリに命をかける。それが、金属を「工芸」たらしめる精神なんだ、とばかりに。


ところで、機械というのは、固くて重いものを扱うのは得意でも、細かい仕事はお手上げだ。ゆえに、鋳型づくり、鋳型への原材料注入、切削加工、ヤスリ仕上げ、彫刻、着色…、ぜんぶ、手作業である。わずかに、切削加工の「ろくろ」だけは電気の力を借りている。しかし、その回転に対し、どんな強さでどれぐらい真鍮を押し当てればよいのかは、「長年の勘」以外に解がない。なんでもコンピューターで管理する現代社会の異端児のようだが、そうした手作業こそが、宗教用具としての「品位」を支え保っているのだ。

そう、賞賛だけでは意味がない。こうした熟練の技によって生み出される金属工芸品が、減ってきた神棚や仏壇でしか見たり触れたりできないのは、もったいない。


ワイングラスがあってもいい、ちょっと重いかもしれないけど唇がきっと嬉しい。靴ベラがあってもいい、かかとをひんやりすり抜けるから外出のテンションが上がるだろう。

目を近づけてまじまじと見ていただきたい。そこに映る自分が恥ずかしいぐらいにピッカピカできれいに平坦な面があるかと思えば、なんとも妖艶な鈍色に引き込まれそうになったり。


手で触ってみてほしい。触れてようやくわかるぐらいの微細な溝の本数が指先で感じられたり、あれ、曲がった!?と錯覚するぐらいしなやかだったり…。
融通が利かなそうに見えるモノたちがこんなふうになるから、快感なんだ。見ている私がそう思うぐらいだから、当の職人さんたちにおいては言わずもがな。

ズシリ重厚、けれども軽やかでしなやかな京都の金属工芸品。鉄は熱いうちに打て、のごとく、いまこそ人々の日常生活の場面にガンガン飛び出してきてほしいものだ。

 

★この記事は、京都を「A」から「Z」で考えるWEBマガジン『BEACON MAGAZINE VOL.2 ~CRAFTS of KYOTO』に掲載されています。ぜひこちらから他の記事もご覧ください。
『BEACON MAGAZINE VOL.3 ~AQUA in KYOTO』
→→『BEACON MAGAZINE VOL.1 ~宇治・伏見のA to Z』

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