AQUA「豊かな水の恩恵」

実は水に支えられている京都

文:中村慶子
写真:マツダナオキ、岡タカシ

地球上どんな場所でも、人間が生きていく上で不可欠な水。京都と水との関係性はことさらに深く、強い。

豆腐、味噌、生麩、湯葉、京野菜も…。きれいな水がたくさん必要な京食材を扱う多くの人たちが、聞けば地下水を用いている。そしてそれらのおいしさが京料理や京漬物に生かされているという構図。「京の台所」と呼ばれる錦市場は、石畳の下に地下水のパイプが通っていて、商店街組合が井戸でくみ上げて100あまりの店に送っている。冷蔵庫のない時代には、魚などの生ものを冷やすために利用してきた。

全国に先駆けてうまい酒を作ってきた伏見の発展も、「伏水(ふしみ)」という言葉があるように豊かな水があったからこそ。名水でじっくりとコーヒーを淹れる店も多い。飲食分野以外でも、鴨川の支流には染色業や製紙業が発達し、茶道の家元が並んでいる。京都には戦禍を免れてきた古い銭湯が多いが、それぞれが井戸を持ち地下水を沸かしているのも特徴的だ。太古の昔、京都盆地は琵琶湖より大きな湖だったといわれる。時代を経て水は地下へ。大地に染み込んだ雨水がたまり続け、現在も琵琶湖の8割ほどに相当する良質な地下水を現在も維持している。さらに鴨川は歴史の中で何度も川筋が変わってきたため、過去の川筋の地下に今も豊富な水が流れる。まろやかで繊細な味と一定温度を保つ地下水が、京ならではの発展を導いてきた。

川は水運という大きな役割も果たしてきた。京都盆地の南端、三河川の合流点にあった伏見港は、豊臣秀吉が桃山時代に伏見城築城と合わせて作った河川港。米を三十石積める「三十石船」が頻繁に京都と大阪を行き交い、水運の拠点として栄えた。江戸時代には角倉了以が大堰川(桂川)や高瀬川を開削し、京都中心部と伏見が結ばれたことから、近世京都が大きく発展。明治27年には、水運のほか上水道や水車の動力を目的として、琵琶湖の湖水を京都市内へ流すために作った水路「琵琶湖疎水」が完成し、市電も通って京都の町がさらに活性化した。

鴨川にかかる丸太町橋西岸に、江戸時代の儒学者で幕末の尊王攘夷運動に影響を与えた頼山陽が開いた草葺の「山紫水明処」がある。東山の「緑」と夕陽の「赤」が調和して「紫」になり、鴨川が明るく輝く京都の夕景を、「山紫水明」と表現したことで知られる草葺の離れ。京都が「山紫水明」の都と言われる所以だ。ある日の夕刻、この近くから鴨川の夕景を眺めてみた。「山紫水明」の美しさまでは行かずとも、情緒のある夕暮れどき。ウォーキングする住民、飛び石をつたう子ども、楽器の練習をする学生、納涼床を楽しむ人々…。京都のど真ん中を流れる鴨川は、いつも人でにぎわっている。北区雲ケ畑の志明院奥にある洞窟の湧水を水源とする鴨川は、147万人が住む大都市を流れる割に水の透明度は高く、国の特別天然記念物オオサンショウウオが生息できるほど自然環境も豊かだ。山陽の時代に比べると自然が失われ、風景も様変わりしたに違いない。それでも自然と人の営みが調和した鴨川の風景は、「京都と水」を象徴しているように感じた。

京都1200年の歴史に大きく関わり、今日の発展も担っている水。川、地下水、湧き水、池、滝…といろいろな水が、産業、くらし、文化、観光…といろいろな方面で。そろそろ水の恋しい季節を迎え、BEACON MAGAZINE VOL.3で取り上げるテーマは「AQUA in KYOTO」。生活・文化・産業を支える根幹として相互に深く結びついてきた「京都と水」を、BEACON独自の視点で掘り下げる。

 

★この記事は、京都を「A」から「Z」で考えるWEBマガジン『BEACON MAGAZINE VOL.3 ~AQUA in KYOTO』に掲載されています。ぜひこちらから他の記事もご覧ください。
『BEACON MAGAZINE VOL.2 ~CRAFTS of KYOTO』
→→『BEACON MAGAZINE VOL.1 ~宇治・伏見のA to Z』

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